葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

今思う。なぜDVから逃げられなかったのか。

ども。えむるです。

今回のテーマ「DV」に関しては書こうと思いつつ

なかなか重くなりそうで書けなかったことだけど、

今日Twitterでそういう話も出たとこだし、

その時の心理を書いてみようかな。

 

多分みんな疑問に思うのはなんですぐ別れないのか?

逃げなかったのか?ってことだと思うのでw

 

ただし前々から言っているように私は今笑ってここに居るし

過去のことなので、「馬鹿だな」「そんなこともあるんだ」と

生温い目で見て読んでほしい。可哀想などの同情は要りません。

 

父の存在

これもちょこちょこブログで話には出しているけど、

うちの父は子供の頃から殴る蹴るが当たり前の人だった。

そんな環境で育った私はドラマや漫画の

「親にも叩かれたことないのに」ってセリフがあまりピンと来ず

それなりにみんなそういったことがあるのが普通だと思っていた。

 

男の人は怒ったら殴るのは珍しくないこと。

という間違った認識を持ってしまっていた。

暴力になれてしまっていたのかもしれない。

父とのことはこちらにも少し書いてます。

 

houmuroubu.hatenablog.com

 

 

今ニュースで報道されている小4女子虐待死事件を見ると

もしかしたら自分もそうなってたかもしれないと思うのと、

あの子は外に訴える勇気があって、それが実ればよかったのに。

と悲しい気持ちになる。

 

DV男性その1

前にも少しブログ話に出したことあるけれど15歳年上のバツイチ。

職場で知り合い上司と部下の関係から恋人となった。

これも何度か言っているけど私は父親の愛に飢えた

潜在的ファザコンであり年上の人が好きだった。

 

彼は仕事の腕も一流で趣味も多く、老若男女に好かれ一緒にいて楽しい人だった。

途中私が一人暮らしを始めたので半同棲のようになった。

変化が現れたのは彼があまりに束縛が強くどこにでも一緒というのに疲れ

別れたいという気持ちを伝えた時だった。

 

いきなり顔を裏拳で殴られた。何が起きたかよくわからなかった。

その後は「お前しかいない。俺を捨てないでくれ」と泣いてすがられた。

それを私は見捨てられなかった。典型的な支配への道。

どうもこの人は親子関係に問題があったようで

「見捨てられ不安」から衝動的に暴力を振るうようだった。

 

そんなことは度々あった。暴力0と1の間の壁は厚い。

ただ一度その壁を越えてしまうとタガが外れてしまうようだ。

彼の束縛により友達関係は希薄になり、実家にも帰りたくない私は

どこにも逃げることが出来なくなっていった。

 

一度彼がバイクの事故で大怪我をして入院した時に

毎日のようにお見舞いには行っていたものの

一人になり自分の人生を考えはじめ、街を出ようと思ったことがある。

そんなことを考えていたある夜、部屋のチャイムが鳴った。

そこには足の怪我で動けないはずの彼がいた。

 

彼は昼間に病院を一時外出し、バスで自分の車を取りに行き、

病院の駐車場に車を止めておいて、夜に抜け出し運転してきたらしい。

松葉杖なのに、しかもミッション車。

そしてまた「別れたくない。捨てないでくれ」と必死に訴えてくる。

憐れみとそこまで私を思ってくれる情熱のようなものに(勘違いw)

また私は取り込まれてしまった。

 

その後、私は転職し、まずは彼と別の職場で働くことにして

距離を置きながらようやく別れることが出来たのだ…

その半年ほど後、彼がいきなり訪ねてきてドアを開けてしまった。

「俺がいなくなって楽しそうだなー」と一発顔を殴られた。

この頃、私は下の記事にも書いたバーに行き始めた頃で

 

houmuroubu.hatenablog.com

 

そんな様子をどこかから見ていたのかもしれない。

今思うとストーカーだよね。私も引っ越すべきだった。

「警察呼ぶよ。訴えるよ。」と強気に出たのが効いたのか

その後彼が来ることはなかった。多分。

何か月後に引っ越しのでね。

 

DV男その2

前夫。10歳年上バツイチ ←その1と共通点有過ぎw

頭は良く難関高校を出て大学で国家資格を取り

安定の職についたもののドロップアウトして自営業。

仕事のお客さんとして出会った。

この人もその1と同じ老若男女に好かれ面倒見もよく

他人だったらいい人だったかと思う。

 

束縛が強く、自分は自由に遊びに行くけれど

私の自由は許さないといった感じ。

楽しい部分もあったけど、とにかくいろんなことに手を出し

それがうまくいかないと私にあたる人だった。

 

いろいろ言えない話もいっぱいあるw

外面が言い分、うっぷんがたまるのか

気に入らないことがあると物を投げてきた。

硬いものでフルスイングされあばらやったこともある。

 

自営業と言うと社長夫人でしょ?と言われるけど

そんないいものではなく豊かな生活でもなかった。

自分で働いたお金の半分以上は渡して、残りで食費など

やりくりしていたのでゆとりある生活していた訳でも

経済的にどっぷり依存していた訳でもない。 

 

 

houmuroubu.hatenablog.com

 


 

ここにも少しその時の結婚生活については書いてあります。

元夫に関してはモラハラネタなど、山ほどエピソードはあるけど

長くなるので今回はこの辺で。

 

アメとムチの割合

子供の頃からのこともあり私は自己肯定感の低い人間になった。

ゆえに起こることすべては「自分が悪い」と思ってしまう。

 

虐待される子供が保護される時に親をかばって

「自分が悪い子だからママ(パパ)は怒るだけだ」

と言うことがあると聞いたことがある。

私にはこの心理がよくわかる。

 

自己肯定感の低さってのは厄介なことに

「こんな私でも好きでいてくれる」

ということに酔ってしまうのだ。

 

ムチ多い幼少期を過ごした私にとって、

アメはたまにしか与えられないものだった。

だから人の優しさに戸惑い、時には怖いと思った。

ムチ9割でもアメが1割あればそれで幸せを感じるような

欲のない人間だったと思う。

だから打たれ強くなったんだんだけどねw

 

なぜ逃げられなかったのか

その1もその2も束縛が強く、嫉妬もひどかった。

例えば一緒にいる時に知り合いやお客さんに会って

ちょっとニコニコ話していただけで

「気があるのか」「愛想振りまいて」と詰められる。

そしてより束縛がひどくなっていく。

 

そしてその束縛により彼以外との接触はほぼなくなる。

ましてや私は親とは確執があったし、

私が子供の頃から仲が悪かった両親は

別居だなんだと住居を変えていたりしたため、

安心して帰る場所・逃げる場所がなかったのだ。

 

その2との結婚は反対されていたのもあり、

泣いて帰れないという思いもあった。

実際、結婚生活に疲れようやく親の所に帰ったのは

結婚から5年ほど経ってからだった。

一泊してすぐに戻ったのだけどね。

 

束縛によりかごの鳥となった私は、例えかごの扉が

空いていたとしても「どこにも逃げられない」と思い込んでいた。

「サーカスの象」のような状態だったと思う。

今となってはなんとか出来たんじゃないかと思うけど

その時は動けないし、否定により思考力も奪われていて

なんとかしようとする気力がなかった。

 

まとめ

父の暴力から逃れようと、父のような愛情を求めて

付き合った相手も父と同じような人間という負の連鎖で

「これが自分の運命なんだ。」と受け入れてしまった。

 

もちろん私自身にまったく問題がなかったとは思っていない。

すべて人のせいにするつもりはない。

自分で選んだ道だからね。

 

あとDVする人も何かしらの問題を抱えてて

それが「暴力」として表面に出ることがある。

殴った後、泣くのは本人もそのことで自己嫌悪に陥り

苦しんでいるからだと思う。

 

でもそこを理解しようとするのはなかなか難しい。

それで自分の人生犠牲にする必要なんてない。

DVする人、される人が1人でも少なくなればと願う。

 

こういった人間がいて、心理もあるんだと

少しわかってもらえたらいいかなと思います。

今はこれらのことは消化出来てるし

今でも囚われて病んでる訳ではないので。

 

 

辛いこともあったけど学びもあった。

学びだけ残し、辛いことはここに葬ります。