葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

オカルト話が好きな理由

ども。オカルト話が大好きえむるです☆

 

オカルトが好き。というとキワモノ扱いされがちだけど、

私は現実主義者だし多分周りが思っているオカルト好きとは

ちょっと違うと思ってます。

そんな話をちらほらしていこうかと。

こういう系が嫌いな人は「またあいつヤバイこと言ってるよ」

とヒソヒソしながらフェードアウトしてくださいw

 

 

読んでいる本について

HONKOWAという隔月誌を読んでいますが、

これは中学校の時は「ハロウィン」という雑誌で

その後「本当にあった怖い話」になり今に至る(多分)雑誌です。

今は隔月発売の本誌と毎月発売の総集編的コンビニ本があり、

コンビニ本は書下ろしもあるので興味を持ったら買います。

 

バイブルとして度々ブログの話題にも出てくる「陰陽師」ですが、

これもジャンル的にはオカルトに見られるのかな?

陰陽師」は原作の夢枕獏さんの方も読んでいますが、

岡野玲子さんの絵の美しさと現代的表現がツボなので、

漫画版の方を何度も繰り返し読んでいます。

 

この他にも興味がそそられれば買うし、神社仏閣とか

仏像の本とかも読んでましたが、どこ行っちゃったかなw

 

なぜオカルト本を読むのか

実は幼少の頃に少しオカルトな経験をしたこともあります。

(この辺の話はイタイ人になりそうなので省略)

それで興味を持ち始めた訳ですが、

話に出てくる霊って、だいたい人間の凝縮された形なんですよね。

 

恨みつらみを残し悪霊化したり、心残りでその場にとどまったり。

その想いが強すぎて影響を及ぼす存在。

これ、人ごとだと思っていませんか?

 

実際生きてる人間でも人を憎んでばかりで悪霊化してる人いる。

何かにとらわれすぎて身動きがとれなく地縛霊になっている人がいる。

生きてるか死んでるかの違いはあれど同じようなことなんだよね。

 

凝縮された人生を見た時

私は昔、介護系の事務をしていてその兼ね合いで

時々介護施設に訪問することもありました。

重症の痴呆の方がいる施設で見たものは、

まさに人生の記憶が凝縮された人々だった。

 

長く生きて痴呆により記憶がどんどん薄れていく中で

残っていくのは「強烈な体験」であることが多い。

 

あるおじいちゃんは私の前に立ちはだかり

「危ない!あそこから敵が狙っている」

「仲間はみんな死んでいった」

と、まだ戦争の渦中にいるような話をしてきた。

 

あるおばあちゃんは「息子は嫁に殺された。」

「食事に毒を入れられた。毎日が地獄だった。」

と未だに嫁姑戦争の渦中にいた。

ずっと同じことを繰り返し話す。

 

もちろん明るいおじいちゃんおばあちゃんもいたし

私が垣間見たのはほんの一部のことだけど、

老いていく過程で良い記憶だけ残そうと意識して出来ることではなく

その人にとって一番心に刻まれたことが最後は残るのかなと。

 

主人方の祖母も痴呆があって、うちの娘を我が子のように

寒くないか?と気遣い、おっぱいを飲ませようとしたこともあった。

子育て中の頃のことだけ残ってしまったのだろう。

実の息子達のことは忘れてしまったのに。

 

なんか人って悲しいなってこの時ちょっと思いました。

そして怨霊って結局こういうことだよなって。

凝縮されてさらに負の部分が増幅されて

それが何世代にも渡り続いたり、時代を飛び越えて

今尚続いているとしたら悲しいことだよね。

 

果たして私が最後に残る記憶はなんだろうな。

 

陰陽師が好きな理由

陰陽師が好きなのは晴明のそういった目に見えない存在に

対峙する姿勢が、生きる上で凄く勉強になったからだ。

本の中で清明「いつもニュートラルであること」を説いている。

そのものを「なんとかして退治してやろう」と気合を入れたり、

下手に同情したりすることは結局相手に取り込まれてしまうのだと。

 

これって陰陽師VS魑魅魍魎だけじゃなく、

人間対人間の付き合いでも同じことだよね。

ニュートラルと言うと無感情・無表情なイメージを持つ人もいるけど

そうではなく「何にも揺るがない心」芯を持つことだと

私は解釈している。ま、私もまだ芯が強いとは言えないけど

昔のように揺さぶられたり流されたりすることは

なくなったのではないかと自分を評してる。

 

若い頃は感受性が強すぎて生きづらかったけど

年と共にそういうのを取捨選択し、鈍感になり

スイッチのオンオフが出来るようになってきた気がする。

 

その他にも私的にためになるエピソードがいろいろあるので

漫画とかオカルトのくくりではなく人生哲学の本として

今も繰り返し読んでいる「バイブル」なのである。

また久々に読みたくなってきたw

 

浄化か排除か

こういう系の話につきものの浄化の過程が好きだ。

問題をそぎ落とし納得、自覚してもらって浄化する。

話してわからない相手は強制排除となるんだけどね。

 

これも人間関係においてもそうで、話してわかる相手と

わからない相手では対処が変わるよね。

 

私はけっこう「根っから悪い人はいない」って思う方で

何か起こってもその人はその人なりの事情があったんだろうと

さらっと呑み込むことが多い。

自分のことで手いっぱいだから、その人をなんとかしようなどと

心身消耗してまで思わない。

 

でも霊能者や陰陽師がやることって、それを改心させたり

気付かせてあげることなんだよね。

気付きってほんと大事。気付けば変われることいっぱいあるもの。

 

私は誰かに気付きを与えられる器のある人間ではないので

嫌な人間はフェードアウトなりカットアウトしちゃうけどw

でもそもそもあんまり人を嫌いになることってないけどね。

 

一番怖い物

これはよく言われることだけど

 

「生きている人間が一番怖い」

 

ほんとこれ。

だからオカルト本とか読むけど深夜で一人でも平気で読める。

生きてる人間じゃないから気の持ちようでなんとでもなる。

たまに絵が怖いのはビビるけどねw

 

あ、いかんいかん。あざとい女キャンペーン中なので

「きゃーこわいー無理ー!(*ノωノ)」って言わなきゃ。

今さらかw

 

ホラー映画などの映像物は怖い。

だってあれビビらせるためにやってるでしょ?

貞子とか貞子とか貞子とか。

前に某SNSで貞子の目アイコンの人がいて

タイムライン流れてくるのが嫌で嫌でミュートしましたw

 

まとめ

結局、悪霊だとか怨霊だとか地縛霊だとかは

人間の醜い部分や弱い部分の凝縮であるから

その形があからさまなオカルト話を読み解くと、

人間関係や生きるのちょっと楽になるよって。

私なりの見解でした。 

オカルトを信じるか信じないとはまた別なのよね。

 

ちなみに私はどの宗教にも属したことはありません。

しいていうなら「るるるる唱えりゃ楽しくなる」

が教えのるるるる教の教祖なくらいなもんですのでw

 

 

 

感受性スイッチうまく使えなかった過去の自分は

ここに葬ります。