葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

それは本当に不発弾だろうか

※ちょっと暗い話です。ただ現在こういった渦中ではありません。

悩んでるとかではないのでご安心を。

ちょっと長いです。重いかもしれません。

 

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時々ふと思い出すことがある。

なぜ私はあんなひどい言葉を言われなければならなかったんだろう?と。

特に恨みや怒りが湧く訳では無いけれど、

疑問と自己嫌悪と入り交じった感情を覚える。

 

それは免疫力が低下した時に身体に発現するヘルペスのように。

 

そして日常とともにいつの間にか消える。特に治療の必要も無い。

多少ピリピリする。そんな程度の軽いものだ。

その不快な感覚と共に「私も人に同じ思いをさせてはいないか」と

思い起こし、その正体不明の罪悪感が胸を締め付ける。

そんなことが度々あった。

 

このことについて少し思ったこと、今まで感じてきたことを書き綴りたいと思う。

 

暴力の種類

世の中には身体的暴力と言葉の暴力がある。

身体的なものは見た目にもわかりやすく、被害者加害者ともに記憶に残りやすい。

言葉の暴力はどうか。これは割と加害者側は忘れていても被害者側は記憶に刻まれている場合が多い。

傷が目に見えてわからないだけに加害者側には罪悪感も残りにくく

唾を吐いた。息を吐いた。程度のこととして忘れられがちなのだ。

 

それは不発弾なのか?

誰かに酷いことをしたとしても言ったとしても

目に見えたわかりやすい報復がない限り、そのことを忘れてしまうだろう。

けれど言われた方の心にはそれがしっかり刻まれ、埋め込まれていて

その爆弾は掘り起こされるかもしれないし、そのまま見過ごされるかもしれない。

暴言投下したけど何も起きなかった。じゃあ不発弾なのか?

それはわからない。

その時は爆発しなくても、ちょっとした刺激で暴発する可能性もあるから

不発弾の処理する時は近隣住民を避難させる措置を取るわけだし、

心に埋まった爆弾もその時は不発弾だったからと安心は出来ないのだ。

 

不発弾だったものが爆発した時

この話を書こうと思ったのは、過去にあったいじめの復讐事件を思い出したからだ。

何十年も前の幼少期のいじめの復讐に誰かを殺す。

あってはならないことだとは思うし、犯罪者側の気持ちを簡単にはわかる。なんていいたくはないんだけど、

こういった事件を聞くたびに昔に埋め込まれた爆弾がとうとう爆発したのだなと感じる。

 

その当時は不発弾だったものが・・・

 

冒頭で述べたヘルペスが免疫力が弱った時に出てくるように

心に落とされいつのまにか埋まったように見えた爆弾が露呈するのも人が弱った時だ。

昔にされたこと、言われたことが鮮明に浮き上がり

自分が壊れてしまったきっかけを、瞬間を思い出す。

それがトリガーとなり事件なり自殺なり起きてしまうのだと考える。

 

そんな事件を「昔のことなのにずっと根に持っていた」と

ニュースのコメンテーターが言っていたりするけれど、

私はそうじゃないと思う。

ずっと埋まっていたものが発動してしまったんだよ。

忘れる忘れないじゃない。意図せぬ間に埋まっていたんだよ。

ずっと心に・・・。

そのくらい心の傷ってのは根が深い。

 

例えば私が若いころに付き合っていたDVをする彼は、付き合ううちに

彼の暴力は「見捨てられ不安」により発動することに気付いた。

詳しくは聞けていないが子供のころに母親に捨てられた過去があるようだった。

普段は明るく周りからも頼りにされる人だったけど、

とにかく私に対する執着が凄く、それで別れを口にするとDV。

または不安になると・・・と行ったことが逃げるまで続いた。

この人にとっては「人に見放される」ことがトリガーであったのだ。

 

人格・存在を否定する言葉

先日、Amazonプライムで見ていた映画で(ネタばれになるので題名は控えます)

サイコパスの連続殺人鬼が出てきたのだけど、

彼の心の中の爆弾となっているのが母親に言われた

 

「お前さえいなければ」

 

という言葉と幼少期の虐待であった。

 

これは本当に言ってはいけない言葉。

私も似たようなことを言われたことがあるので少し気持ちはわかる。

 

駄目なことに対する行動否定はしつけとして大事だけど、

人格・存在を否定されることは心に楔を打たれる。

「自分は存在してはいけないんだ」と。

 

私の場合、最初の結婚で人格否定をされてかなり辛かった。

「お前は何も考えるな。俺の言うことだけ聞け。」

最初は反抗していたものの否定され続けるうちに

だんだん無気力になり抗うことをやめてしまった。

 

のちのち知るのだけど、これってマインドコントロールの手法に近いみたいで

今となってはなんであんなに言いなりになってたんだろうと思うけど

その時は「そんな自分だからここにしか居場所がない」くらいに思ってしまうんだ。

 

そして解放されてからも一度下がった自己肯定感を上げるのはなかなかと大変だった。

今は自分が割と好きだけど自信満々とは言えないし、

親からの言葉、同級生からのいじめ、DV、結婚生活でのマインドコントロール

叩きのめされ浮上してだから人よりいろんなことに気付くが遅かった。

 

私は周りに恵まれているし優しい人もいっぱいいた。

私のことを褒めてくれる人もいて、少しずつ自信を取り戻したけど

ふと弱った時に100の誉め言葉をもらったとしても

あの1言はかき消せないまま心に残って痛むことを感じた。

※冒頭にも書いたけど今は大丈夫です。うまく爆弾処理出来ています。

 

人に爆弾を抱かせない様に

何気なく言った言葉が人を傷つけてしまったり傷つけられたり

人と関わる以上はよくあることかもしれない。

けれど取り返しのつかない言葉は言わない様に気を付けてはいる。

誰かに埋めた爆弾はその人自身も蝕むし、いずれは自分に向かうこともあるから。

 

特に子供に対しては、私のようにはなってほしくないので

感情的になって酷いことを言わない様にしている。

自分を反面教師に自己肯定感アゲアゲで育てたいからw

 

 平和主義。というと聞こえがいいが、基本はこんな考え方で

自分自身の心を守りつつ、人にも酷い言葉は投げないようにしています。

houmuroubu.hatenablog.com

 

私自身は今はそれなりに幸せで明るく生きているから

過去をくよくよ悩んで病んでもいないし、気楽なんだ。

でも苦悩した時期のことは忘れないし、そこから学んだことは大きい。

それによって今の自分の考えが出来ているので無駄ではなかった。

生きてきて良かったと思うこといっぱいあるよ。ほんと。

 

爆弾に蝕まれない様に。

爆弾は上手く処理して。

人には投げつけない様に。

 

つたない思いながらここに書いて葬ります。