なぜミッキーマウスは逃げ惑ったのか
えむるです。ミッキーマウス記事の総括的なことを書いていこうかと。
郷ひろみとライチと私
その前に私が自分の顔がよくわからないという点について説明を補足すると
「腑に落ちない」
という表現が正しいかと思います。
この何度見ても「腑に落ちない」現象が起こるものがあと2つあります。
郷ひろみとライチです。
きっとお前何言ってんだ。とお思いでしょうw
自分でもよくわからないのですが、
郷ひろみさんの顔は何度見ても
美醜の判断がつかないんです。
顔をいじって変わっているからとかではなく
本当に腑に落ちない。判断が出来ないんです。
後、ライチ。ライチ味は好きです。
でも生の果物のライチ。自分で買ってまでは食べないのですが出てきたら食べます。
でも食べても美味しい?ん?不味くはないけどといつも腑に落ちない。
で、またしばらくすると友達がライチ美味しいよねー大好きーと言っているのを聞いて、あれ自分がおかしいのかと思いまたトライするも、また、ん?ってなる。何度も。
ほんとこれ「腑に落ちない」としか表現できなくて説明が難しいのですが、
自分の顔と郷ひろみとライチは同じ感じなのです。
誰かこの現象、わかる人いませんかね?w
結局のところ大事なものは
何が原因で私がこじらせたかと考えると
それはやっぱり「自信のなさ」
「自己肯定感の低さ」です。
自信があれば、みんながミッキーマウスだーと群がるなら
「僕ミッキーだよー♪」って振る舞えたかも?
ま、女だから僕じゃないけどw
中身と外見の剥離があってミッキーマウスの着ぐるみの中で本当の私は
「やめてー!私はミッキーじゃない!」
と叫んで逃げていた。
なぜ自信がないか。となると褒め言葉という幼少期からの刷り込みがなく、
どちらかといえば「ダメな子」と否定されることが多かった。
うちは割と毒親だったので。
それに加えてのいじめによる男性不信。
いろんな要因が重なって自分が嫌いになってしまっていたからなのかな。
自己肯定感は大人になってからでも育てられるけれど、子供のうちは身近にいる親の言葉による所が大きい。後は学校の先生や友達や、人の言葉により育っています。
だから子供がいる人はいっぱい褒めてあげてほしい。親から褒められることは自信になるから。それだけで人生のスタートラインが変わる。
私は実はこの後も自己肯定感叩きのめされて
なかなか浮き上がれなかったけど、
今は自信満々とまでいかないまでも自分のことが好きだし、
たいした人生じゃないけどすべて
が糧になっていると感じてる。
これには時間もかかったし遠回りした。
こんな人生でも明るく生きてこれたし、
男性が怖い時期はあっても人間が嫌いになったことはないのよねw
人に裏切られたし、助けられたし、
波乱はあったけど今はすべて笑い話w
まだこの先波乱が待っているかもしれませんが…
「どうせ自分は」って思う人が
「どうだ!自分は」と思えるようになれれば
良いなとー願ってます。
あの頃の怯えたミッキーマウスの自分は
ここに葬ります。
今はただのネズミですしw