良きも悪きも巡り巡る
私は因果応報を信じている。
何度か因果応報を見た。
自信でも経験したことがある。
でもね。「因果応報」って誰でも気付けるものではないと知った。
人によっては「因果なんでない」と否定している人もいるから。
こじつけにも見えるかも知れない。それでも私は信じたい。
前にもこんなこと書いているけど「因果だ」と気付き反省することが大事で
いじめにしろ浮気にしろ自分がした側で、された側になった時に
別の問題と考える人は自分は「被害者」の意識が強い。
実際にそういう人が泣いて喚いてワーワー「酷い!」とか言っているの見た時に
「自分がするのは良くて、されるのはダメなんだ」と冷めた気持ちになってしまった。
昔自分がしたことと同じような似たような状況が起こった時に
「あの時、相手はこんな気持ちだったのかな?」と省みることが出来る人は
痛みを知り成長できる。って私は考える。
自分を責め過ぎてもだめだけど、自分は一切悪くなくて
相手が悪い運が悪いって思っているうちは人は変わらない。
私はバツ2だし、DVの彼がいたりもして、ノリで「男運悪い~w」
っていうことはあるけど、実際は運だなんて思っていなくて
「男運が悪い」って言葉が実は嫌いだったりする。
信じやすくて甘い自分も悪いし、あの頃の自分には自信もなくて
自らの選択であり、それにより学んだことは自分自身が一番知っている。
馬鹿だなーとは思う。でも全部が相手のせいではない。
悪い因果ばかり話してきたけど、良いことも巡ってくる。
その見返りを期待していなくても、あの選択があって今があると。
私は最初の離婚を選択したおかげで、次の人と子供に恵まれた。
2度目の離婚を選択したから、今の彼に出会えた。って思っている。
人生は一つの道に続いているのだから少し選択が違っただけで今の自分はない。
間違えた。遠回りした。と思うことがあったとしても変えられない。
すべてが意味がある「因果」として良くも悪くも受け止めたい。
そんな風に思うようになった。
未熟な行いは気付き省みることで供養したい。
そんな思いをここに葬ります。