葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

その時、我を省みれるか

いろいろバタバタあったもののオリンピック始まったねー。

正直思うところはいろいろある。

コロナ的に見たら開催は「反対」正直な気持ち。

けれど選手のこと思えば開催してほしいという複雑な気持ちで・・・

でも私なんかのただ見るだけの一般人の「複雑」さなんて

開催に直接かかわっている人々、参加選手の気持ちに比べたらね。

ほんと顕微鏡じゃなきゃ見えないレベルの些細なものさ。

 

オリンピックで噴出した某ミュージシャンの過去のいじめの話。

あれは若い頃にリアルタイムで知り、酷い話だと嫌悪感を覚えた。

それがまさかここに来てまた出てくるとは・・・

そして自分で前に書いたこの記事を思い出した。

 

houmuroubu.hatenablog.com

 

あの時代は悪ぶるのがかっこよかったみたいな論調もあり

どこまでが真実なのかわからない。

でも彼自身が投げた爆弾であることは確かなんだよね。

世間に。いじめの相手に。

その時には爆発しなかったものが、今ここに来て爆発した。

「因果応報」って奴だろうか。

 

別に彼に「ざまあみろ!」と思うほどの思い入れもない。

ただただ、巡ってきたことなんだという思い。

批判の中にはお祭りに便乗して叩きたいだけのもある。

擁護の中には「そんな過去のことなのに」って意見もある。

でも冷静に考えても多様性をコンセプトとし、

パラリンピックという彼のいじめの対象であった障害を持つ方も出る

国際的な大会には「ふさわしくない」とは思った。

 

銀行が過去に窃盗自慢していた人と知って雇う?

それを知った顧客は怒るであろう。そんな図式。

見ていると「いじめ」という点だけ考え叩いたり擁護している人が多く

その部分がセンシティブで印象に残るのはわかるけど

今回の処分は重大な「点」が線で繋がってしまったことを見るべきと思っている。

 

私だって清廉潔白・聖人君子ではない。

でも過去に自分の身に良くないことが起こった時に、なんとなくだけど

「ああ、もしかしたらあの時のあの人はこんな気持ちだったのかな」

と、我を省みたことがある。

今回の騒動にしても、彼は謝罪をした。

それについてはその場の取り繕いのためか、本当に反省したかはわからないけど

「うるさい外野が騒いだ」「過去のことだ」と

逆切れ的に考えるのではなく今起きたことの点と過去の汚点とを線で結び

自分が投げた爆弾だった。と省みていると思いたい。

そうじゃないと人って成長しないんだ。

 

何か起きても「たまたま」「運が悪かっただけ」「周りがクソ」と思う人もいる。

それでも別に生きては行けるんだけど、私が思うに、というか経験上

神様的なものはさ、わかりにくい形で過去に解けなかった、逃げた問題を何度も何度も出してくることがあって、それを前とは別の問題と思っていると、いつまででも繰り返しあの手この手で出してくる、ちょっといじわるなとこあるw

あのこととこのことは結びついてるんだ!と理解をすると

「はい!よくできましたね~」と次のステージに勧める仕様みたいで。

 

神様がいるかいないか。信じるか信じないかって話ではなく、

本当にそういうことが何度もあったからわかりやすく神様と言ってるだけね。

でも割とこの考えは間違っていないと思っている。

人は成長するために生まれ、いろんな課題が与えられているなんて言うと

スピリチュアル!な感じはするけどさ・・・w

 

あともう一つの開会式前の退任問題は、過去のコントなんだけど

それはネタにしてはいけない「アンタッチャブル」なやつだったからね。

あの人個人を叩く意図も庇う気持ちもなく、冷静にジャッジして

国際的な問題になるものだったから、いたしかたないと思っている。

「ひどい」とか「可哀そう」とか感情論ではなく。世論的に。

 

過去が今に降りかかってくることはある。

時には我を省みることを忘れずに。自戒をこめて。

 

自分を省みれず、運や周りのせいにしていた過去は

ここに葬ります。

 

 

#東京オリンピック #自戒を込めて

#開会式 #いじめ問題