葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

「一歩」の危うさ

モヤモヤしている今日この頃

ここのところずっとモヤモヤしてる。

周りの空気もギスギスしてる。

SNSも覗けば、やれ○○ガー!やれ○○脳ガー!

と、自分の考えが絶対で誰かをディスらなきゃいられない

そんな投稿が流れてくる。正直疲れる。

目についたものはミュートなりするけども。

 

私は割となんでも「一理ある」と考える優柔不断で良く言えば柔軟だ。

そんな私からしたら考えをしっかり持った人は凄いと思う。

けれど考えを持っているようで頑な・意固地になっている人は

ぶつかっても痛いだけなので避けるようにしている。

「俺が正しい。お前が間違っている。いうことを聞け!」

そんな叫びはモラハラ男を思い出し、滅入ってしまうから。

 

その裏にある危うい道

私は割と事件の裏側を知りたがる方だ。一時期犯罪心理学の本も読んだ。

「犯罪する人の気持ちがわかる。可哀そう。」などと寄り添いたい訳ではない。

どちらかといえば「一歩間違えば自分もこうなっていたかも・・・」

という危うさへの確認と今の自分がそうならなくて良かったという安堵を得ている。

 

面白おかしく事件を犯すものも居れば、追い詰められて犯すものもいる。

前者はまるで理解が出来ないが、後者には少しだけ思いを馳せる。

同情ではないけれど、あの日の自分の気持ちかもしれないという振り返り的な。

 

虚しい穴埋め、自傷

悲しみ・悔しさ・怒りが他者ではなく自身に向く人もいるだろう。

特に女性は力も弱いから。自傷、最悪は自身を葬ってしまう。

他に女性に多い自傷行為として「性」がある。

満たされない人生への自暴自棄で自分を壊したい汚したいと、

そちらに走る人も割と多いのは周りを見ても解る。

 

実際、淋しさを埋めたい。誰か側にいて欲しいとと思った時に

「どしたん?話聞こうか?」と寄ってくる輩は多い訳だから。

虚しいとわかっていても、どうなってもいい体を差し出し

一時的にでも心を救い、そして救われない気持ちが残る。

 

私はそちら方面に走らなかったのは、性に対する嫌悪感が強く臆病だったから。

でもそれを手段として使えることはわかってはいた。出来なかった。しなかっただけ。

一歩間違えば転がり落ちていた道かもしれないけれど。

 

あと一歩で踏みとどまっている人達

一歩間違えば。そんなことはこの世の中にたくさん転がっていて

そのギリギリで踏みとどまっている人達はいっぱいいる。

頑張っても真面目に生きても報われない世の中に絶望している人達。

考え方一つで前向きになれることもあれば、呪縛にとらわれもがいている人もいる。

 

理不尽なことなど山ほどある。

人を傷つけ生活を脅かし平気な顔している人達。

そんな人たちに報いを。と思ったことはあるけれど、私は天に委ねることにした。

「わざわざ自分が手を下さなくても。因果応報はある。」と。

 

怒りや憎しみに囚われると心も脳も焼け付くように苦しい。

その苦しみから逃れたい。思考を止めたいと自身や他者の破壊に向かう人もいる。

この気持ちは裏切りや追い込まれた経験がないとわからない。

私はまだ踏みとどまれた。なんとかなっただけ。

あと一歩・・・だったかもしれない。

 

事件の裏を知れば、私なんかの経験など比にならないほど壮絶だったりする。

私が苦しんだ何倍もの苦しみや理不尽を受けたのか。と想像すると

仕方がないとは思わないまでも「制御不能」だったんだろうか。

その受け皿はどこにもなかったんだろうか。と考えてしまう。

ほんの些細な心繋ぎとめる何かがあっただけでも違ったのではないかと。

そういったもの全て「プツン」と途切れてしまったのかと。

 

一歩先はわからない

「一寸先は闇」という言葉があるように、先のことはわからない。

自分は大丈夫。安全な道。と思っていても、

いきなり地面が崩れるかもしれない。

どこに罠があるかわからない。

怯えて生きるつもりはないし、誰かを救えるほどの余裕はないけれど

人の振り見て「馬鹿だ。アホだ。」と笑って切り捨てるのではなく、

時々、我が道、我が振り省みつつ思いを固める。

自分には守るべきもの、繋ぎとめるがあるから。

 

 

今ここに生きてること。そこそこ険しいながらも頑張って来たこと。

自分を労いつつ、先の道に進んでいく。

 

自分を引きずり落とす重りはここに葬ります。