鈍感と敏感のあいだ
前にも何度か書いているけど、私は鈍感力はある方だと思う。
話を聞いても受け止めずスルーする能力というか。
これはいちいち受け止めて傷ついていたら身が持たない。という背景があって身についたもの。
何をしても罵倒される。しなくても罵倒される。
どうしたらいいのかわからない時期があった。
自分の存在自体が悪なのかと悩むほどに。
鈍感力を身につけ、だから今はそれほど傷つかずにいられた訳だけど、
ふと気を抜いた時に言葉に被弾することがある。
心が弱っていてATフィールド効いてなかった時だ。
Twitterなどでもよく争いを見かける。
人を馬鹿にしたり笑いものにしたり。
それらは自分に向けられた言葉じゃないとわかってはいても
見ていて辛くなってしまう時があるんだ。
フラッシュバックなのかもしれない。
鈍感な中にも敏感な部分があって、そのスイッチをピンポイントで押されてしまう。
まだまだ私はこんな弱点を持ち合わせていたんだなと気付く。
そんな時に強い言葉はイガグリのようにトゲトゲしていて刺さってしまう。
そして何かを言うことが怖くなってしまう。
だからそんな時は離れる方が良い。
見なければ済む話。誰かを嫌いにならずに済む。
そうやって自分で対処するしかないよね。
強い言葉を吐く人は、よっぽど自分に自身がある人なのか、
自分にコンプレックスがあるから他者を攻撃するのか。
そうして「自分はまだまだまとも」「自分は他の人とは違う」と思いたいのか?
平和で無難な世界はたいしておもしろくないかもしれないけれど、私は平和を望むし、誰かを傷つけるくらいなら自分が傷ついた方がマシだな。
いい人ぶりっこかもしれないw
でも自分が誰かを傷つけて、その痛みに悶えている人はみたくない。
それは自分が悶え苦しんだから、人に味会わせたくない。そう考えている。
人は怒ると言葉にしろ行動にしろ普段考えられないようなパワーで、なんとかしてやろう!懲らしめてやろう!と思うみたいだ。
それで自分の魂がどんなに汚れようと。
人としての威厳が焼き尽くされようと。
我を見失うとはそういうことだろう。
だから私は怒りたくない。
怒って周りに負を撒き散らす駄々っ子になるよりは、
暗い部屋の片隅で体育座りで悲しみに耐える人でありたい。
ギスギスした気持ちはここに葬ります。