葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

期待を大きくしすぎない生き方

 

「人にお金を貸す時はあげたと思え」

 

昔から言われている事だ。

このことの真意がわかったのは歳を重ねてからだ。

これは「お金」という形だけを見ているのではなく

相手に期待をするな。ということだろう。

 

貸したお金を返さない人は誠意がない。

本来なら返ってきて当然のものだ。

だがしかし常識が通用するのは相手が常識人である時だけ。

普通の理論はサイコパスやソシオパスや、ましてやクズには関係ない。

 

自分にとって大切な大金であっても、受け取る側にとっては大したものでも大したことでもなく、相手の思いを踏み躙るなんてことそえ考えられないのだから。

 

お金ではなく目に見えない優しさや思いなどもある。

 

「こんなにいろいろしてあげたのに‼️」

「あなたのことがこんなに好きなのに‼️」

 

こんな感じで泣いたり怒ったり喚いたりしている人がいるが、人間的だな。と思うと同時に

あなたがしてあげたことの大きさは受け取り側にとっては小さなことだったかもしれない場合はただの押し付けでしかない。

 

「〇〇してあげてる」って考え方がある人は、それ相応の見返りがあって当然と考えているから、それに見合わないと感情的になりメンタルもやられる。

 

私もそんな時期があったからわかる。

 

でもいい加減大人になったなら気づいた方がいい。

これもよく言う「自分は変えられるけど、他人は変えられない」的なことで

自分の受け止め方を変えた方がいい。

その方が楽に生きられるから。

 

期待値上げて、それに沿わなくてガッカリ失望して、相手を罵って自分も相手も傷つけて、時には周りをも巻き込む。

そんなことを繰り返していても誰も得しない。

真面目な人ほど、この罠に陥りやすい。

 

昔、職場に好きな女性の先輩がいた。

歳上で一番ベテランで真面目で仕事も出来て責任感も強くて。

誰よりも早く来て、退勤のタイムカード押してからも仕事して、

引き受けなくても良いことまで時間外に引き受けて。

でもその人は溜め込んだ故に時々爆発して泣いていたし、後にメニエールにもなっていた。

夜も夢見が悪くて、寝言を叫んで起きるとか。

 

私はその人が好きだし可愛がってもらっていたので、サブリーダーのような形で新人への指導やクレーム対応、その人にストレス溜まりそうなことは引き受けたりフォローをしていたけど、子供が小さいから仕事は無理は出来ないと一線は引いていて。

この先輩からはよく「ほんと怒らないよね」と仏と呼ばれていた。

その頃は怒ることで消耗しないように消化が上手くなっていた時期でもある。

 

先輩も頼ってくれたり、ランチに一緒に行ったり、辞めた後も仲は良いのだけど、彼女の話を聞くうちに、根底に

 

「こんなに会社のために頑張っているのに」

「私ばっかりなんてこんな目に」

 

という気持ちが強いのを知った。

だからこんなに苦しんでいるんだと。

 

人はしたことに対して「認めてもらいたい」「わかってもらいたい」という気持ちは誰にでもある。私もある。

 

でもそれが強すぎると

「なんで私はこんなに頑張っているのに、あの子ばっかり認められるの?」

「こんなに親切にしてるのに、他の子と仲良くするの?」

など、嫉妬や不満や怒り、悲しみ、上手くいかないことへの嘆き。

そんな負の感情を生みメンタルがやられてしまい悪循環となる。

そして周りにも面倒臭い人と距離を置かれる。

何度も繰り返す人は自分の問題でそうなっている。

 

そうならないために「期待しない」というだけで、冷血漢になれというのとは違う。

血圧が上がったり下がったりが激しければ体が辛いように

感情の上げ下げが激しければ心を病む。

そして日常生活にも影響が出る。

それを防ぐために、楽に生きるためにはその方が良いというのが今の私の考えだ。

 

多少の期待はしても、返って来ないかもしれないとダメなパターンも想定することも大事。

期待値が低い方が、予定外に大きなものが返って来た時の喜びも大きいし。

私の今の恋愛はこんな感じかもしれない。

人と人なんていっぱい優しくしたから、いっぱい与えたから好きになる。仲が深まる訳ではないのだから。

 

昨今の婚活がらみのツイートも、相手に期待しすぎて理想が高すぎて、望んだものが返って来なかった‼️と不平不満が多いのも、それじゃ上手く行くわけないって思う(偉そうに)

理想を高く持つのは悪いことではないけど、期待に応えない相手が悪い訳ではない。

感性が合わないだけの話。

 

自分自身が過剰に見返りを求めて、思うようにいかなくて苦しむのは独りよがりで空回り。

そんなことにエネルギーを使わなくて済むように思考回路を見直してみると良いのでは。

 

まあ、私も面倒臭い人間だとは思うけど。

何かの時は「あ、自分が期待しすぎていただけだな」と落とし込む術は、一応もってる。

後は自分が考える普通じゃない態度なら、そういう人なんだ。と付き合い方を変える。

無理してお返しを要求することも責めることも無駄な労力。

その人を人として正したい!みたいな押し付けがましい正義感は持たない。

子供に対しては教えて行くけども、他人に「あなたの為を思って」なんて言ったところで、恩着せがましいし、なんなら恨まれる。

よほど大切な人が間違った道に進みそうな時は言うけれど。関係性にもよるよね。

 

厳しいこと言うようだけど(Twitterによくある胡散臭い書き出し)

昔はこれが出来なくて、みんなに優しくする自分や自己犠牲に酔って、全てを許容し受け止めることこそが正しいくらいに思って空回りして消耗して苦しんだから。

今だからこそわかるって話ね。

気付くの遅い方かもしれないが、周りにはまだまだ同じように苦しんでいる人いるからさ。

って、ここそんな見てる人はいないと思うけどw

 

歳も歳だし、自分の心を穏やかに保つために私なりの線引きです。

私自身も最近期待しすぎていたところあったなーという自戒と共に。

私も自分の問題と向き合います。

 

人によっては毒。ここに葬ります。