葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

あの子を葬りたかった

本当にウザイ。マジムカつく。

見てるとイライラする。

 

あの子。

 

この世の終わりみたいに大袈裟に泣いて

悲劇のヒロイン気取ってさ。

どこにも行く場所がないからってすがってさ。

みっともない。

 

〇ねばいいのに。

 

私がコロしてあげるよ。

それでもう泣くことも苦しむこともないよ。

消えな。

 

 

 

 

そして私もこの世から消えた。

 

***

 

ちょっと重い話を書きます。

「自殺」についてです。

見たくない人はそっ閉じ回れ右。

 

つい最近もタイムラインでそんな話を見たので

私が思うこと感じてきたことをここに残そう。

別に今死にたいとか思っている訳では無いのでご心配なく。

 

死にたいは生きたいの裏返しなんて言う。

自殺とは「自分を殺す」と書く。

「死にたい」ではなく「殺したい」

生きたいから嫌な自分を殺したい。

でも部分的に殺すことなんて出来なくて自分を殺すことは死となる。

 

それと考えるのを止めたいのに止まらない時。

嫌な思いが頭の中で壊れたラジオのようにノイズを撒き散らす。

それを止めようと破壊することが死に繋がることもある。

 

これはあくまで私の経験の話だけど、

記憶を抹消したいほどのことがあるのに、それが頭をグルグルすると脳ミソ丸ごと鷲掴みにしてぶん投げたくなる。

 

軽度であれば頭を掻きむしる程度で済むだろうが、ひどい時は頭を壁に打ち付けて壊して思考を止めたくなる。

 

本当は自分の全てが嫌で死にたい人なんていなくて、嫌いな自分を殺すために、止まらない思考を止めるために、そんな部分的な症状に侵され死んでしまう人は多いんじゃないかな?

 

 

昔、希死念慮が強い時期があった。

いろんなことが上手くいかなくて人からも裏切られないがしろにされ

そんなことは度々あったから生きる希望を失っていた。

 

「生きていたってろくなことはない」

 

そんな呪いにかかっていた。

 

でも今こうしてここにいるのは

それでもまだどこかに望みを抱いて

「生きたい」と願ったから。

 

今は生きたい。不器用ながらも生きたい。

 

自分の中のダメなあの子を消すことではなく共存出来ているから。

 

他人にはムカつく〇ね!なんて言わないのに

自分にはみんな厳しいんだよね。

 

自殺したいと思う人にはなんて声をかけていいかは正直わからない。

もしも今、友達に言われたなら無言で抱きしめるかな。

「わかる」だの「ダメだよ」など、そんな言葉は聞きたくないだろうと思うから。

そこまでの思いになるまでに苦しかっただろうから。

多分私もあの頃にそれを望んだから。

 

「死んだってなんにもならない。」

 

そんなことはわかっている。なのに湧き上がる衝動に、気持ちの矛盾に苦しんでいる時に当たり前の言葉なんて聞きたくないし、刺さらないもん。

 

私は嫌なあの子を殺すのではなく自分自身で抱きしめてあげることで救われた気がした。

 

ちょっとスピっぽい話になるけど、アダルトチルドレンの療法としてインナーチャイルドを抱きしめると言うのはあるのね。

私はこれを知らずにやってたんだなと。

 

今日もぼんやり「生まれた時から止まることなく生きているんだよな。」って思ったんだ。

時には少し止まりたいなと思うけど、死にたい訳では無いから、少しだけ回転を落とし徐行運転でも進むしかないんだろう。

暴走しないように。止まらないように。

 

車の運転も上手い下手があるように、生きるのにも上手い下手があるんだよ。

はい。私は下手くそですw

車の運転は割と上手いんだけどね。

 

なんの影響力もないブログだからさ

ここに書いたことで死にたい人を救おうとか

理解してあげてなんて言うつもりはないけど

少なくとも私はこう感じていたということ。

書き記すことに意味はある。多分。

 

書くことで吐き出して、思考整理して

このブログは私の運行記録みたいなもんかなw

 

そして書いて葬ります。

 

※本日2度目の投稿になったけど、これは下書きに書き足したもの。なんとなく今日出したい気分だった。