葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

深淵を覗き込み、我に返る

時々ね、思うんだ。

テレビやネットで流れる悲しい事件は実は本当には起こっていなくて 

私に何かを考えさせるための試練でフェイクじゃないかって。

 

そうだったらどれだけいいだろうね・・・。

 

実際にはそれは現実に起きたことで、巻き込まれた方々の

無念や怒りは陳腐な想像で賄えるものではない。

 

そしてテレビは週刊誌では犯人の生活環境や

事件に至ることになった背景などを報じる。

それを聞いて「そんな不幸な環境なら仕方がない」などと

納得なんて出来る訳もないし「解る」などと言いたくもない。

 

でもこれは自分が昔感じてたことで今も戦っていることで

それをちょっと書いてみようと思った。

さらに痛々しくヤバイ奴認定されることは覚悟で。

 

覗き見た世界

よく通り魔殺人などの事件の犯人が逮捕されると

「部屋には猟奇殺人の本が複数あり・・・」などと報道される。

はい。私読んでました。意図は違うかも知れないけど。

 

高校生くらいの時か・・・犯罪心理学的なものに興味があって

購入はしてないけど、図書館などで読みふけった。

「どうしてここまで酷いことが出来たのか?」

「何があってこういう思考に至ったのか?」

そんなことを考えながら。

 

FBI捜査官のプロファイリングの本も読んだ。

その本の最初に

怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

ニーチェの言葉が書かれている。

この言葉は印象的で記事のタイトルもここからきている。

 

あとは多重人格者の本も読んだ。

「24人のビリー・ミリガン」や「5番目のサリー」

ビリー・ミリガンはTVで人格が変わる瞬間をとらえた映像見て

衝撃を受け、興味を持ったんだ。

 

そして後に付き合った人が多分?多重人格だったというおまけもある。

まあこの話は長くなるし、多分実際に見ていない人には信じられない話だと思うのでまた何かの機会にでも書くかもしれないがここでは端折っておく。

 

何を知りたかったのか

異常犯罪者にしろ、多重人格者にしろ持って生まれた資質もあるけど

恵まれない環境で育ち、幼児虐待・性的虐待を受けたケースが多い。

私は自分なりに心配だったんだ。「自分は大丈夫なのかと」

もしかしたら私もそうなるかもしれなかった。という思いもあった。

 

そしてこういった虐待のケースを見ると私はまだまだマシなんだ。と思い、

人の不幸を見て自分の幸せを確信していた側面がある。

我ながら醜いとは思うけど、誰にでもこの要素はあることだろう。

 

ただ受け止める側のキャパの問題もあるし、虐待に優劣はつけれない。

大なり小なり人の人格を破壊する行為であることは間違いない。

かといって虐待受けた人が皆、破壊者となる訳では無い。

ひどい虐待から保護され生き残り、傷を受けたからこそ

人を傷つけないように生きている優しい人達だってたくさんいるのだから。

 

人から見れば恵まれている、裕福な環境で虐待なく育っても

それはそれで屈折した思いを抱くケースもあるので

環境だけじゃなく、資質、思想などが複雑に絡んで

人は形成されていくのだろうな。

 

こういったことを知ることで自分を冷静に分析して軌道修正したので

私はきっと「深淵を覗き込み、我に返っていた」んだ。

 

足元は固められているか

私は今は明るくのほほんと生きているんだけどさ、

昔は自分が産まれてきたことを呪ったこともあるし、

人を殺したいと憎んだこともある。危うい子供であった。

その時の心理状況は綱渡りのようで、ちょっとしたことで

ふらっと闇に落ちていたかもしれないと振り返り思う。

 

生きていく中で歩く道が綱のようなものから板になり、地面になり

踏み固められてそこそこ安定して来たんだ。

1人じゃなく周りの人に支えられながらね。

 

それでもホルモンのバランスが崩れたり嫌なことがあった時に

ふと地面が割れて亀裂に呑み込まれてしまいそうな不安を感じることはある。

自分なりに持ち直し保ちながら生きているのは皆同じではないだろうか?

 

周りに恵まれず誰にも話せず、自分から抜け出すことも出来ないままの人が

綱わたりをしているとしたら、それは他人にとっては些細な微風であっても

落ちてしまうし、落ちる時に近くにいる誰かにつかまり道ずれにしようと思うかもしれない。

 

危うい人間なんていっぱいいる。

心療内科のある病院で勤めてた時には世の中病んでいる人が多いなと正直感じた。

その危うさを自分でコントロール出来なくて家族に頼ったり甘えたり、

薬や病院、カウンセラーに相談したりなんとかしたいともがいている人達。

その危うさが時に暴走して内に向かい自滅してしまうこともあれば

他人に向かうこともあり、ニュースにはならない小さな事件は日々起きている。

 

どうすれば救われるのか 

正直誰かを救うのは難しいと思う。

というか私は人を救えるほど立派でもなく自身を保つことに精いっぱいだ。

本人が自覚なく、改善をしようと思わない以上出来ることは少ない。

その人の限界メーターみたいなものは目には見えないから。

何回積み重なったらそうなるっていうマニュアルもないから。

 

でもなぜここにこうして書いたのかというと

もし自身で「危うい」自覚があるなら吐き出して

人にもすがって、医療にも頼って深淵から抜け出そう。

孤独に綱渡りする必要なんてない。って伝えたい。

せめて自分自身を救ってあげて欲しい

 

家族にそういう人がいるなら制御出来ないモンスター化する前に

その危うさに気付くことは出来ないだろうか?

これもいろんな事情があり難しいとは思うけど

深淵を覗き、手を差し伸べることが出来たなら

少しは良くなるのはないか。

 

深淵があることを見て見ぬふりしたり、

深淵に人を自覚なく突き落としてはいないか?

 

まあここに書いたところでそんなにたくさんの人は見ないし

理想論であり綺麗事並べているに過ぎないけれど。

 

少しでも理不尽で残酷な事件がこの世界から減ることを祈ります。

 

若かりし頃の危うさはここに葬ります。