葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

恋をどうやってしたのかなんてもう忘れてしまっている

「恋をしたくなるのは

 愛に疲れた時だ。」

 

「恋は

 好きという錯覚ではじまり

 嫌いという確信で終わる。」

 

ちょっとポエムりましたw

 

なごみんはツイキャス

 

「恋は下心、愛は真心(心の位置)」って言ってたな。

 

最近恋の話を聞くことが多く恋について考えていた。

 

恋ってどうやってしたのだろう?ふと思った。

恋をしたことがない訳ではないのに、どう恋したか

はっきりいってあまり記憶にないw

 

自分から好きになった人にはいつも言えないままで

相手にいい人が出来たら心の中で「お幸せに」とつぶやき

気持ちを葬って来たので恋はしたけれど火が付く前に鎮火した。

あの頃は自分に自信がなかったからね。

そんなことの繰り返しのような気がする。

 

こんなババアになって燃えるような恋がしたいなどとは思わない。

でももっと良い恋をしたかったなぁと昔を懐かしむ。

結婚をした身なのでもちろん相手のことが好きな時期はあったけど

どこか動機が不純であったり順序が違っていたから

熱烈に愛し合って結婚といういわゆるゴールに辿り着いた訳ではない。

 

不純な動機といっても巷を賑わす婚活女子的な打算ではない。

実家以外の居場所が欲しかった。

子供が欲しかった。

そんな感じのことだから。

それも結果としてそうなったけど

最初から計算があった訳では無いのだ。

結婚願望はもともとあまり強くはなかったし。

 

結婚により恋から愛に変わる。男女のそれではなく家族愛になる。

愛の方は受け止めるべきことも受け止めて欲しい物も増え、

疲れてしまうことも多い。そんな気がする。

 

恋が清らかで穏やかな泉だとするなら

愛はどこまでも深く底知れない滝つぼだ。

 

こうして愛だ恋だ語って見てもいまだによくわからないけど

なんとなく恋はライトで愛はディープ。

そう自分の中では区切りをつけている。

 

もうドロドロした重いのは勘弁だ。

でもその重いものと引き換えに大切なものを手にしてる。

 

昔より成熟した今ならもっといい恋が出来る気がする。

たいした責任もなくただウキウキするだけの気持ち。

 

もし今、恋をしたとしても理性で封じ込め

その思いを告げることはないのだろうけど。

 

片思いでもいいんだ。(両思いはいろいろ現実問題が)

私は今も昔も恋愛下手で木陰からそっと好きな人を見守る

少女のままなのかもしれない。

 

恋は葬らない。

よこしまな気持ちは夢の世界へ葬ります。