葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

全てをさらけ出しあうということ

最近トーン低めの真面目な記事が多いけど、

悩んではいるが病んではいないからご心配なく。

ただこうやってここに心を整理しつつ分析しつつ

書いて落ち着きたいから書いている。

 

今日も人と話しながらふとこの記事を思い出した。

 

houmuroubu.hatenablog.com

 

自分で書いたものだけど、そんなつもりで書いたものではないけど

これを読むと私の甘さ、見切の悪さが良くわかるんだ。

自分で読み返し「まったく私は変わってない」と再認識する。

 

勢いで始めたこのブログで勢いで参加してしまった企画で

思うままに無計画に書いたら自分の心の一部をさらけ出していた。

ここ葬ろう部は始まりも書くことも行き当たりばったりだ。

私自身の生き方がそうなのだから当然とも言える。

 

※※※

 

自分をさらけ出して付き合える人間なんてそうそういない。

私は割と裏表はない方だとは思うけど。

 

子供頃であれば一番身近にいる親が自分のことを理解してくれて

時にはぶつかりあいながらケンカもする。

本音をさらけだせる存在だろうか。

 

悩み事を話したり、慰め合ったり励まし合ったりする友達も

まあまあ自分をさらけ出しているのではないか。

  

そして恋人なり夫婦という関係は親や友達とも違うのは

体の隅々までさらけ出し、心もさらけ出す点だろうか。

夫婦であろうと他人行儀な人たちもいるので一概には言えないけど。

 

このさらけ出すという行為によって思いが深まることもあれば

その逆に離れてしまうこともある。

「他人だったらいい人なのに」そんなことはよく思う。

 

私の前夫も他人だったらいい人だったと思う。

面倒見はいいし、アクティブだし面白いし。

でも夫婦であったがために、彼の裏の顔を見てしまった。

 

人にお金を貸して裏切られ、返ってこなくても怒らない。

客に変なクレームをつけられても怒らない。

優しいというよりどちらかといえば気弱な人。

その人の怒りのはけ口は私だった。

 

外でいい顔をする分、ストレスが溜まっていたのだろう。

あとは生活を共にするということで気に入らないこともある。

普段外では温厚な人が家では横柄になる。

 

私自身の癒し能力が足りなかったのかもしれない。

でも無理を聞いたし、無茶ぶりにも答えた。

それでも家族というだけでもっともっとと要求され

それに応えなければ怒られ時に手が出される。

 

他人から家族になった時点で受容するものも許容するものも増える。

家族とは夫婦とはいったい何なのか?

いつから何をしてもいい存在になるのだろう。

いつの間にか私は人ではなく所有物になったのだろうか?

 

そうやって傷つけあって憎み合って最後は醜さまでもさらけ出す。

これが人として健全な形なのだろうか。

そういったもの含めて丸ごと受け入れ愛すことが課題なのか。

 

そう思うと他人のいい人とそこそこ付き合う方が楽な気がする。

喜怒哀楽感情フルで付き合うのは消耗するよ。

成長もするかもしれないけどね。

出るのがため息であるうちはいいんだ。

反吐が出るようになったらもう末期だねw

 

 

行き当たりばったりの戯言を今日もまたここに葬ります。