葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

神様なんていない。

えむるです☆本日荒れモードw

目が冴えてるし真夜中にボソボソと書く。

 

もしこの世に神様がいるとしたら、相当などSなんじゃないかなって思う。

何回試練与えてくるねん!

そんなことが今までも何度かあった。

 

でもいつも逃げようとするとさらにハードル上げてきて

お前はこれでも逃げるのか?

そんな薄情な人間なのか?って問われるようなことが起きる。

 

人が死ぬようなことはなかったけど、

それに近いことや、ちょっと普通ではありえない事件が起こり八方塞がりとなる。

それはつまりは逃げずに戦えってこと。

もしくはそれを振り切るほどに非情になるしかない。

 

もちろん非情になどなれずに泣きながら戦う道を選んで

ハードモードな障害物競走のような人生を得て今の私がある。

うん。でもまだまだ笑っていられるしマシな方だとは思うけど、

穏やかで平和な暮らしとは縁遠いようだ。

 

昔に見た映画ミラ・ジョボビッチ主演の「ジャンヌ・ダルク」のあるシーンが印象に残っている。

 

教会に通う信仰深い少女ジャンヌは

野原で寝転がった自分の横に剣があることに気づき、それを「神の啓示」と受け取り、

周りからも「神の使い」と崇められ戦いの道に進む。

後に捕えられ異端審問を受ける直前のジャンヌの周りで幻影が

「あれは本当に神の啓示だったのか?」

「お前がそう思いたかっただけじゃないのか?」

などとジャンヌに問う。

「違う。思い込みなんかじゃない!」

と否定しつつも、その問いに、

自身の行動が正しかったかどうか?疑問を抱き錯乱状態になりながらジャンヌは火あぶりにされる。

 

かなり端折った説明だしセリフなどは違うかもしれないけどこんな感じのシーンだった。

 

1度見ただけなのに、ずっとこのシーンが忘れられないのは、

「逃げられない?そう思いたかっただけじゃないのか?」

と自分自身に問うことがあるからなんだと思う。

 

実は壁もハードルも自分で作って来ただけなのかもしれない。

神様にあたるのはとんだお門違いなのかもしれない。

悪い人になりたくなくて自分で自分の首を絞めていたのかもしれない。

そんなことを考える。

 

神様神様言うてるけど別に宗教やってないし、

結局は自分自身の心の中の神様と戦ってるだけなんだ。

こんちくしょうめ。

 

神様なんていないんだよ!って言いたいところだけど

神社仏閣好きだし、やおろずの神好きだし

日本の何にでも神が宿る考えは好きなんだよね。

 

神様なんていない。なんて言わないよ絶対。

槇原敬之かよ!

 

ようやく眠くなってきたのでこの辺で。

 

本日の怒りと動揺はここに葬ります。