葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

母に思い母として思う

この前、母から2回電話があった。

母は同じ市内で一人暮らしをしている。

前は私もパートで平日休みがあったから

たまに会っていたけど、今は平日仕事があるし、

母は母で働いているからなかなか予定が合わないんだ。

 

最初の電話で聞かれたから夫の近況を報告。

「やってることうちのお父さんそっくり」

と母の感想。私もそう思う。

夫と実父は名前の読みも一緒だしやること似ている。

なんの呪いなのかw

 

まあそんなこともあり心配して2度目の電話があったのと、

母もきっと寂しかったんだろうと思う。

 

子供の頃、母はよくお酒を飲んでは泣いて

自分がいかに不幸かを語っていた記憶がある。

あちこちで借金をする父。それを返済するために

3人の子供を抱えながら働いていたのだから辛かったんだろうな。

 

子供の頃は知らなかったけど、大人になっていろいろ腹を割って話し

わかったこともある。

一時期母は心療内科に通っていたらしい。

荒れ果てた生活で病んでいたのだろう。

 

子供の頃はよく親の喧嘩を見たし、子供さえいなければ離婚する、

お前達が大きくなったら離婚するなんて話はよく聞いた。

 

そんな日々で私は自己肯定感低く育ったけれど、母のことを恨んではいない。

母は母で荒波を必死で乗り越えつつ頑張っていたんだろうと思うからだ。

 

絶縁している父にも恨みというよりは呆れだ。

関わりたくない。今の生活に入り込んで欲しくないから会わない。

そういうことなんだ。

 

熟年離婚した今の母はとても朗らかだ。

年の割に元気でイキイキしている。

会うと「子供の頃にいろいろしてやれなくてごめんね」と言い、

その罪滅ぼしの気持ちと孫可愛さで娘に服やお菓子を買い与える。

 

私も今母となり時々娘にごめんね。と思うことがある。

もっと小さい頃は怒ってしまった後に寝顔を見ると、

可哀想なことしたなと泣けて仕方がなかった。

 

子供が小さい頃は自分にも余裕なく、育児ノイローゼのような時もあったし、

初めての子育てに育児・家事に非協力的な夫との喧嘩に疲れていたことはあった。

大なり小なりきっと母親みんながぶつかる壁だろう。

 

娘との関係は今のところ良好だと思う。

母であり、時に父であり、姉として友達として仲良くほぼ二人の生活を楽しんでいる。

 

義理の両親に義弟家族に、知り合いに友達に

いろんなところで愛され、明るくたくましく育ってくれた娘を見て

少しほっとしている。

 

子供が欲しいと願いながら、私のような屈折した環境で育った人間には

子供を育てるなんて無理な事じゃないか。と考えていた頃があるから。

虐待されて育った人は子供にも虐待すると聞いていたしね。

 

まだまだ子育ては終わりじゃない。

いつ自分のしたこと言ったことが還ってくるかはわからない。

良い種を蒔いていれば華やかに育ち

悪い種を蒔けばトゲのある子供に育つ。

私の過去に撒いたものはいずれどう咲くのか。

 

期待と不安が入り交じるけれど

母として成長を見守り見届けたい。

 

母と険悪だった頃の思い出はここに葬ります。