葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

正しい育て方もわからないけれど

先日「正しい愛し方がわからない」という投稿をした。

わからないのは「育て方」も同じだ。

常々、子育ての正解なんてものは死ぬ時にわかるか。

死んでもわからないか。

どこで答え合わせをするのかによるとも思う。

 

いい子だったはずの子が、介護放棄。死後も放置。

そんなニュースを聞くたびに複雑な気持ちにもなる。

介護は大変だから子供に負担を背負わせたくはないけど。

出来るだけ一人で生きていこうと思っていても

怪我なり病気なりでお世話にならざるえない時もあるかもしれんし。

思い描いているように人生は簡単にはいかない。

 

正しい育て方はわからないけど、自分の経験を反面教師に

出来ればこうやって育てたい。という思いは持っている。

 

子供が幼稚園の時に知り合った近所のママさん。

子供が同学年でもあったし朝一緒に子供を送ったりお付き合いはしてたけど

この人が口を開けば誰かの悪口。って人でその場にいない人のことをあーだこーだといつも言っている。

そういうのに疲れ、後々働きだしたのをきっかけにして距離を置いたんだけど

まだ仲良くしている頃に聞いた「うちのお母さん、電車とか乗っても周りに座った人の悪口ばっかいうんだよねー」って話で、その人のルーツを見た気がしたんだ。

そういう環境で育ったから「悪口」を言うのが普通になったのかな。と。

 

思えばうちの親もお金持ちに対する僻みなのか

「塾なんて学校の勉強ついていけない頭が悪い子が行くとこだ」

「親の脛齧って大学行って、遊んでいるやつばっかだ」

などなど言っていたし、子供ながらに衝撃だったのは

とある芸能人の子供が自宅プールで溺れてなくなったってニュースを見て

「お金持ってるからってプール付きの家に住むからだ」

みたいなことを言った時に、え?って戸惑ったんだ。

そこで疑問に思ったことは正解だったと思う。

ただ、こうした親の日頃からのインプットにより

若い頃はどこかで親のお金で進学する人を「けっ」と、妬んでたように思う。

大人になってから思えばあれは自身も学歴がなく、子供も通わせられないから、

大学なんて、勉強なんて「意味がない」という洗脳だったのかもしれない。

 

親っていうのは子供が小さい頃から一番一緒にいる時間が長いから

何気なく言ったことで子供を洗脳したり、言葉の呪いをかけてしまう。

自覚のないままに。

 

だから正しい育て方はわからないけれども、そういった負の呪いをかけないように。

偏見を持たないように。言葉を大切にするべきなんだよね。

人間なのでいつも穏やかではいられないんだけど、少しだけそこを意識して

子供には人に対し良い感情を抱くように(警戒心は持たせつつも)

あまり悪口や負の感情を吐露しないようにしたい。自戒。

 

 

自分の考えではなく人の意見でそういうものだと妬んでいた

過去の自分はここに葬ります。