葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

分離不安~執着のメリット・デメリット

前回の記事で母子分離のことを少し書いたけど、それに関係する

分離不安や執着について思うことダラダラと書いていこうかと思う。

 

houmuroubu.hatenablog.com

 前回の記事の補足になるけど、信じているから不安にならなかった。

と書いたけど「信じている」というより「疑わなかった」が正しいかな。

「あなたのこと信じているから!」なんてことは言ったことがないし

その言葉を言う時点でたいがい疑ってるもんだと思っている。

疑わない時は信じているとか信じていないとかすら考えてないもんだ。

 

 

執着がないということは

うちの娘は母子分離がスムーズ過ぎるくらいで、それはそれで不安もあった訳だけど、思うに子供の頃から物事に対する執着が薄かったからなんじゃないかなと。

 

子供の頃はよく子育て支援センター的なところにあちこち連れて行ったりしたけど、

そこで遊んでいると子供同士のおもちゃの取り合いが起こることはよくある。

でもうちの娘は自分が遊んでいるものを他の子が奪いに来てもそれを譲って、他のもので遊び出す子供だったため、揉めることがなかった。

大きくなった今でもすぐ人に物あげちゃうしその性質は変わらないようだ。

どうしてもこれじゃなきゃ嫌だ。って気持ちが希薄なんだよね。

 

物事に執着がない。人に執着がない。

だからドライで母子分離も楽だったのかな?とは思うんだけど、

いかんせん物に執着ないがゆえに、よく物を無くす忘れるというデメリットがあるのだ。

 

前の記事にも書いたように娘はその場その場の状況を楽しめる点が長所だとは思う。

でもその時が楽しければ良いために、遊んだ道具やら家の鍵やらお稽古ごとの道具やら忘れてくる。

 

義母が持たせてるお子様携帯もどこかに失い

翌日公園に見に行ったらベンチの上に置き去りにされ雨に濡れていた。

楽しむことに夢中で忘れてしまうようだ。

 

うちの娘は療育に通っていたこともあり、

その時はADHDを疑ってたけれど(私もその傾向があるので)診断は下らず。

でも注意力は相変わらず足りない。そこはなんとか改善したいところ。

 

執着による執念がガッツを産む

私もそうなんだけど執着がないってことは根に持たずに

はい次!って切り替えが出来るので割と楽なんだけど、

自分の人生を振り返ってみた時にもっと執着あってもよかったなって思うこともある。

 

例えば恋愛。これに関しても私は自分から積極的に行く方ではなかった。

というのも自分に自信がなかったし、「こんな私でも好きになってくれるなら」

と受け入れるといった感じが多かったように思う。

 

でも積極的な子は「ものにしたい」と思ったら、例え競争率が高くとも

人のものでもガツガツ行く訳で、このなにがなんでも!というバイタリティは

正直凄いなと思うんだよね。

 

有名人なりセレブと結婚するために女子アナになる!キャビンアテンダントになる!

モデルになる!アイドルになる!こういう考えの女性を若い頃は浅ましいと思ったけど、幸せへの執着から生まれる執念により自分の欲しい物を手にれる。

それは自分を夢を叶えるために一生懸命なんだなー凄いなーと思うようになった。

自分がそうなりたいとかは別にしてね。

 

男性ゲットに限らず仕事にしても人を蹴落としてでも誰にも負けない!

絶対に幸せになってやる!金持ちになってやる!くらいの気概を持った人

こういう人がいわゆる勝ち組になれるんだろうな。

 

仕事に対しては割と負けん気は強いんだけど、

対人となると人を傷つけてまで・・・と一歩ひいてしまう。

優しいというか甘い。我ながら生ぬるかったなと。

 

私は欲がないというか、蛇口をひねるとお湯が出て

お布団で眠れれればそれで幸せ。くらいの考え方で

お金=幸せではなかったから、そういうガッツがなかったんだよね。

 

友達に「あんたはどこででも生きていける」とは言われる

違った意味のたくましさは持っているんだけど。

ある物で与えられた環境でなんとかしちゃうからね。

よくも悪くもリトルハッピー体質なのだろう。

 

今ではもっと若い華のあるうちにガツガツ行くべきだったと思うこともある。

これは自己肯定感が低いゆえの「私がそんな多くを望んじゃいけない」という

ストッパーがかかっていたことに気付いたからだ。

なんであんなに志が低かったのかと過去の自分を殴りたいくらいだ。

 

こういうことは今だからわかるし、子どもを見ていて気づかされる。

子供に自分が出来なかったことや夢を背負わせるつもりはないし

子供は子供なりに幸せをつかめばよいと思うんだけど、

この先の人生のどころどころで同性としてこういった生きるための

ちょっとしたヒントが与えられればいいなと思う。

そのために子供の自己肯定感を育て、凛として欲しい物を手に入れる女性に

なってほしいなーと密かに願ってる。

 

子供には大丈夫!と声をかけたい

子供は小さいうちは誰かにべったりでも良いと思う。

うちの娘も一緒にいる時はけっこうベタベタしてくるし

子供だから甘えが許される訳だし、甘えれる時に甘えればいいと

自他ともに認める甘え下手な私は思う。

それが長年続いて過干渉、共依存になってしまうことがよろしくないだけだ。

 

歩くのだって自転車だって水泳だって最初はサポートが必要で

それを徐々に手を放して一人で出来るようにするじゃない?

いつまでも「まだ怖い」「大丈夫かな?」ってお互い思ってたら

1人で何も出来ないままになってしまうんだよね。 

 

私は子供が小さい頃、転んだ時にあまり過度な声掛けはしないようにしていた。

うちの子が強くてあまり泣かない子だったってのもあるけど。

公園とかで子供が派手に転ぶと周り人がびっくりして

「あら大変!大変!痛いでしょ?」って声かけて

平然としてる私のことをなんて冷たい親だって感じで見てた訳だけど

もちろん私も「大丈夫?」くらいは言うし心配はしてる。

でも私はわかってるんだ。毎日見てる自分の子だから

「この子はこんな事じゃ泣かない」って。だから余裕を持って構えてる。

 

でもあれって転んで痛くて泣くのもあるけど、周りが「わー大変」って

大事にしてそれで不安になって怖くなり泣いてるんだな。って子もいるんだよね。

大変大変言われるから大変な気がしてくるし、

痛いでしょ?って言われるから痛いような気がしてくる。

そして泣けば誰かがかまってくれるということも学ぶ。

 

私も子育ては初めてだし、子育ての正解なんてずっとわからないから

このやり方が正しいと胸張って言える訳では無いけど、

外野が「大変なこと」と変に不安煽るのは嫌なんだ。

母としては「大丈夫だよ。痛いの痛いの飛んでいけ」って

抱きしめて不安を解消してあげるのがいいんじゃないかと思っている。

 

うちの子は活発で怪我多くて今まで2回骨折してるんだけど

その時は泣き方でちゃんとわかるし病院にも走ったからねw

 

不安は心をざわつかせる 

私は過干渉な親にはなりたくないし、実の父親と絶縁した時に

もし娘が私と絶縁や疎遠になることを希望してもそれは自分が招いたことであり

因果応報だと受け入れることを覚悟している。

もちろんそうはならないように最大限の努力はするけれど。

 

こんな私も分離不安な時期があった。

子供の頃に母親が家を出て行ってしまう夢を見て

泣いて目覚めたことがよくあったんだ。

うちは両親がよくケンカをしていたので、それを見て

「いつかお母さんは私達を置いて出ていくんじゃないか?」

という不安が常に心の中にあったのだろう。

その不安は年齢と共に「あ、いつものことか」と慣れてなくなった。

 

前に付き合っていたDVする人は親との関係に問題があり

「見捨てられ不安」によってDV発動してたので、

この人はずっとその不安を解消できないまま抱えていたことになる。

 

 

人にべったりで離れることが不安になる場合も

人に見捨てられるのが怖いと不安になることもどちらも不幸だ。

不安により人はおかしくなってしまう。

 

分離不安は動物でもあるんだけど、犬なんかは

常に飼い主と一緒でいることが当たり前で甘やかし過ぎると

飼い主の姿が見えなくなるとずっと吠える、物を破壊する

自傷するなどの問題行動が見られ、知人のうちは家に誰かいないと

出かけられないために家族旅行が出来ないと嘆いていた。

 

分離不安も執着によりなる訳で、これも執着のデメリット。

執着から依存になり、もうそれなしではその人なしでは

心が落ち着かなくなりパニックになる。こうなるともはやジャンキーだ。

最悪の場合、その人を殺しそうになったりストーカーになったり

事件に発展しまう怖いことだ。

 

結局のところ

執着の方向性により人は幸にも不幸にもなる。

そのバランスはなかなか難しく私もよくわからないまま生きてきたけど、

これからどんどん手が離れていく娘には上手く「適度」が身につけられたら

私よりは人生イージーモードな気がするんだw

子供には男性などに依存せず自立した女として強くなってもらいたい。

それをうまく伝えられるかどうかはわからないけどね。 

 

 

心を蝕む執着はここに葬ります。