葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

眠れない夜に戯言を投げる

変な時間に目覚めてしまった。

ここ2日間は義実家にお客さんが来ていて

家族集まりワイワイおもてなしして遊んで

つたない英語で話したりして楽しかったんだけども、

それなりに気を使ったり気を配ったりしていたせいで、

疲れと興奮が残っているせいなんだろうな。

 

気を使う

気を配る

元気がなくなる

気の迷い

気がつく

気が合わない

 

などなど「気」という文字がつく言葉って多くあって、

私は「気」という概念を信じてるし、その言葉によりハッとする。

 

別に気功だのやっていて気が自在に操れるとかそんなことはないんだけどw

 

度々このブログでは私のバイブルとして

漫画「陰陽師」の話をしているんだけど、

その中でも「白比丘尼」の話が大好きで

何度も読んだし、そこから得た閃きから

もし子供が出来たらこういう名前をつけようと思ったんだ。

子供ができるずっと昔にね。

 

子供にはそのまんまの名前ではないけど

その閃きと自身との関わりが深く感じてきたことの意味は含めた名前をつけた。

 

長くなるので白比丘尼の話はまた別で記事にしようかと思うし、

ここではざっくりな説明にすると、

比丘尼というのは人魚の肉を食べて不老長寿を手に入れたとされる

八百比丘尼」の言い伝えがベースになっている。

 

不老長寿を手に入れたことで、その溢れる生命力と若き美貌に人が群がり、

あやかろうとし、時には強引に力を奪おうとする者もいて

そんな生活の中、いくらとめどなく溢れるパワーを持つ比丘尼でも

人からの搾取により心に澱が溜まってしまい、そのままにしておくと

鬼になってしまうため、30年に1度(手元に本がないのでうろ覚え)

陰陽師により払ってもらう訳だけど、

もう不老長寿の生活にピリオドを打ちたいと願う比丘尼と、

陰陽師安倍晴明との駆け引きの話なんだよね。

(ほんとざっくりですいません)

 

この話を何度も何度も読んで。

なんでこんなに惹かれるのか最初はわからなくて。

そしてそのうちなんとなくわかってきて。

ふっと腑に落ちた。

この話も「気」の持ちよう使いようなど、

「気」で読み解くと面白い。

それが今の考え方に至るベースにもなっている。

 

長くなってきたのとようやく眠けが来たので

今日はここまで。投げ逃げごめん。

続きはまた「気」が向いた時にでも。

 

心の澱みはここに葬ります。