葬ろう部

いろんなことを書き記し葬っていくブログ

女の断末魔

私はずっと女であることが嫌だった。

性同一性障害とまではいかないまでも男になりたかった。

恋愛対象はほぼ男の人だけど、女子から告られたり迫られたりもした。

もしかしたらそっちの道に進んでいたかもしれない。

 

なぜ女であることが嫌だったのか。

これは今フェミニスト達が叫んでいる「性的搾取」が要因だったように思う。

女であるがゆえに言動で性的に扱われることが嫌だったのだ。

 

正直若い頃はそれなりにモテたので、知らない人が電話番号調べてかけてきたり

待ち伏せされたり。友達だと思っていた男子と二人きりになれば襲われかけたり。

子供の頃から近所の複数のおじさんにセクハラされたり、そんなことが多くて

私はすっかりと拗らせてしまった。

 

「女は嫌だ」

 

だからセクシーや華やかな恰好は避けていたところがある。

目立ちたくなかった。

ちやほやされても見た目だけしかみられてないようで戸惑った。

 

そして若くして結婚したから別に男の目を惹く必要もなく、

最初の離婚後、一時的には弾けたけれど、すぐに再婚したので

また男の目を惹く必要のない生活に戻った。

 

でも別に「男の目を惹くため」じゃなくても良かったんだと今になって思う。

自分の為に綺麗でいて可愛く着飾っていれば。

ただ昔の私にはそれが出来なかったんだよね・・・。

 

年を取りおばちゃんになっていく自分に安堵した。

 

「もうこれで女として見られない」

 

という謎の安心感。

いつまでたっても女でいたい。そういう気持ちが希薄だった。

 

「女としてではなく人間として見て!」

 

私はずっと心の中でそう叫んでいたから。

 

無駄にエロいとか色気があるといわれる顔に産まれたがゆえの悲劇。

性格と顔が合わないとなかなか難しいもんだ。

全くそれを生かし切れていないんだからね。

 

Twitter見ているとそういう特性をいかして自己プロデュース上手い子多い。

若い頃にSNSが盛んだったならもっと違っていたのだろうか。

 

今になってもっと女を楽しんでおけば良かったって思う。

よりどりみどりの男たちをたぶらかしたりしながらねw

ちやほやされておけばよかった。なんであんな逃げてたんだろ。

 

でもこれは今だからそう思えるだけのこと。

その当時はそんな風に考えられなかったから仕方がない。

過ぎた時間は戻らないのだから。

 

年齢的には更年期で、もう少しで閉経となる。

女でなくなる訳ではないけど、女の終わりは近い。

だからこう思うのだとしたら、これは女の性の断末魔だ。

 

まだ恋をしたいしときめきたい。

残り少ない女の人生、楽しみたいと思う。

パーッと一華咲かせますかw

 

 

拗らせ少女はここに葬ります。